うぇーい

眠い。起きて三十分でバイト先の大掃除はキツイであります。いえ、寝すぎた自分が悪いのでありますが……しかも、一時間で帰らしてあげると言われていたのに二時間やらされました。ひどいです。あまり疲れたくない一日だったのに……明日は徹夜で神社バイトなんですよ。前から言ってますが。初めてなのでどんなもんか分からないのでなるべく体力は残しておいた方がいいじゃないですか。
次から少し電波で真面目な話に入ります。
最近、小説を書いてて思うようになったことがあるんですよ。人生っていうもののゴールは生まれたときからほとんど決まっていて、人々はそのゴールに向けての過程を自分の自由意志で進んでいっているのではないかと。最初から歩むべき道が決まっていて、その道を歩かされている、というのとは少し違います。ゴールは決まっていても、その過程は自分で選び、自由に進んでいける。でも、最後は決まっている……人は最後がどこかなんて分からないからいつまでも自由に生きていけると信じているが、実際はゴールに着いた地点で人生は終わったようなものとなっている。ただ、そのゴールは非常に広い世界だから、ゴールの中を動くことは出来る。そして人は、それをゴールの後の自由意志と勘違いする……こんな感じのことをふと思ったんです。
私の小説の書き方っていうのが、まず、ある程度の登場人物とオチを決めてからその道程や世界観を形作っていくっていう感じなんです。道程に関しては、書き始めてからもむちゃむちゃ変わります。ただ、どんなに変わっても、自分がまったく思っていなかった展開になっても、決まったオチに必ずたどり着くようになってるんですよ。むしろ、それがオチにたどり着く際にとても重要なファクターになってたりするんです。だから、人は与えられた条件で決まったオチにいかに充実した内容でたどり着けるかを楽しむために生きているんじゃないかと。そんな風な考えがちょっと頭をよぎってます。まぁ、たいしたもんじゃないですがね。